祭典・行事

笠間稲荷神社では、四季折々の様々な祭典・行事を執り行っています。

令和6年

3月19日 午前7時30分 旧初午祭
3月20日 午前8時 春季皇霊祭
3月24日 絵馬祭・絵馬炎上祭
絵馬祭・絵馬炎上祭

絵馬祭は笠間稲荷神社の御縁日である旧暦の初午大祭に併せて行われ、絵馬に託された皆様の御祈願が成就いたしますよう祈念する神事です。当日は午後2時から青年会主催の絵馬行列が行われ、山車や狐の行列、おはやし等の賑やかな行列で氏子区域を廻り、事前に配付した絵馬を回収します。その後拝殿前に於いて絵馬炎上祭を斎行し、お焚きあげします。
絵馬祭にあわせて「絵馬コンクール」も開催されます。又、笠間焼陶芸家・石材店石工家達による全国的にも珍しい「陶板・石板絵馬展」も併せて開催されます。

4月3日 午前8時 神武天皇祭遙拝
4月9日 午前11時 例大祭
例大祭

4月9日の例大祭は、笠間稲荷神社御創建の日とされ、年間60ものお祭が斎行されている中で最も重要な祭りです。
この日は午前11時に、正装した宮司以下神職、献幣使(けんぺいし)、献香(けんこう)、献茶(けんちゃ)を御奉仕いただく各宗匠(そうしょう)、氏子総代、全国よりの招待者が、雅楽(ががく)を奏でる伶人等に先導されながら参進し、お米、お酒、海の幸、山の幸などを大神さまにお供えし、皇室の弥栄、国家の繁栄、世界の平和を祈るとともに氏子、崇敬者、国民の幸福を祈願します。
また、茨城県下醸造元からの銘酒奉納による献酒祭(けんしゅさい)も執り行なわれます。
境内においては、銘酒ラベル展をはじめ、池坊、古流・小原流の献花の展示と、江戸千家・表千家・裏千家など各流派の野点(のだて)が行われ、茶の席にはどなたでも気軽に入席ができ、それぞれの流派のお点前をお楽しみいただけます。

4月29日 午前8時 昭和祭
5月7日 講社大祭
5月10日 午前8時 御田植祭奉告祭
5月10日 午前10時 御田植祭
御田植祭

笠間稲荷神社では、御神饌田において古式ゆかしく御田植祭を斎行いたします。御田植祭はその年の豊穣を祈願するとともに、稲荷の大神さまに毎日御供えする御米(みけ)を栽培する稲苗の植付けの神事であり、このお祭りは食物を司る稲荷大神、宇迦之御魂神様の御神徳に由来する重儀として厳修しております。
御神饌田は当神社の西方約1キロメートルに位置し正方形で約300坪の広さです。四方の中央に素木鳥居(しらきとりい)、周囲に竹矢来(たけやらい)を巡らせてあります。当日は正面に祭場を設営し、右前には舞殿が設けられます。
午前10時に花火の合図で祭典が開始されます。祭典が進行すると、舞殿に於いて巫女、氏子女子中学生による神楽舞「稲荷舞」、「迦陵頻(かりょうびん)」が奉奏されます。次いで早朝神前にお供えし祓清められた早苗が宮司より奉耕管理者へ、奉耕者から早乙女へと配られ、太鼓三打を合図に田植が始まります。同時に地元中学生により「御田植祭歌」(折口信夫作詞、兼常清佐作曲)が奉唱されます。
御田植の儀式は厳粛に進んで行き、やがて検知役の宮司は進捗(しんちょく)状況を確認し、祭典は終了します。その後関係者一同社務所に戻り、直会を行い、秋の豊穣を期待し合います。

6月25日 午前10時 車の茅の輪くぐり
車の茅の輪くぐり

笠間稲荷神社では、6月晦日に斎行します夏越(なごし)の大祓式の一環として、「車の茅の輪くぐり」を、笠間市田町の佐白山麓笠間稲荷神社外苑駐車場で斎行します。
この茅の輪くぐりは、半年間に知らず知らずの内に犯した罪やけがれを「茅の輪」をくぐり抜けることによって祓い清める神事です。進展する車社会に鑑み、交通安全と事故防止を願って直径6メートルに及ぶ日本一の茅の輪を、自家用車を始め、大型バス、工事車両、二輪車などが、茅の輪を8の字を描くように、左、右、左の順序にて3回くぐり、交通安全を祈願します。

6月30日 午後4時30分 夏越し大祓 茅の輪くぐり
夏越し大祓 茅の輪くぐり

笠間稲荷神社では、毎年6月30日に「夏越し大祓 茅の輪くぐり」を斎行します。この大祓式は、飛鳥時代の大宝律令(701)によって国家的規模の行事として、毎年6月と12月の晦日に斎行されており、大祓により過去の罪やけがれを祓い清め、人間の本来の姿に立返り新しい生活の出発を祈る神事です。
神事は紙で出来た人形(ひとがた)に、氏名、年齢、生年月日を書き込み、その人形で身体を撫で、息を三回ふきかけ人々の身代わりとして罪けがれを移し、我が国最古の祓いである「中臣祓」の式を以て執り行われ、参拝者は境内に設けられた「茅の輪」をくぐり、祓い清めます。人形は後に大海へ祓いさります。
茅の輪の起源については、釈日本紀七の備後風土記逸文に、神代の昔、素盞鳴尊(すさのおのみこと)が南海の方へお出になる途中、ある所でお泊りになろうとして土民の蘇民将来(そみんしょうらい)と巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟に宿を求めました。弟の巨旦将来は裕福であったにもかかわらず、宿を拒んだのに対し、兄の蘇民将来は、貧しくても素盞鳴尊をお泊めし、粗末でありましたが精一杯おもてなしをしました。その後、年を経て素盞鳴尊はふたたび蘇民将来の家を訪れ「若し天下に悪病が流行した際には、ちがやをもって輪を作り、これを腰につけておれば免れるであろう」と教えました。この故事に基づき「蘇民将来」と書いて、これを門口に貼れば災いを免れるという信仰が生じ、祓いの神事に茅の輪を作って、これをくぐり越えるようになり、現在にいたっています。

8月1日 午前8時 本社御田植祭
8月1日 午後1時
午後3時
事比羅祭
末社祭
事比羅祭

8月1日は、笠間稲荷神社の境内にお祀りされています「事比羅神社」・「末社(境内神社)」の例祭を斎行いたします。それぞれの神様が御鎮座されました日でございます。このお祭は、各お社を崇敬されています方々が、日頃からいただいているご神徳に感謝の誠を捧げるためのお祭です。

8月上旬 献燈祭
献燈祭

我々の生活の中で身近で欠かす事のできない火は、寒きを温め、暗きを照らし、食物を調理し、全ての産業の源として、一日も欠かす事のできない火(灯)に感謝し、火が災いの元にならぬよう祈願いたしますと共に、祖先の御霊(みたま)を慰めるお祭です。
境内の石燈籠や釣燈籠、そして奉納提灯全てに灯がともされ、夕暮れとともに風情ある景観がご覧いただけ、夜遅くまで参拝者で賑わいます。

それぞれ一基ごとの初穂料は以下の通りです。

提灯 5,000円

献燈(提灯奉納)ご希望の方は社務所までお問い合わせください。

TEL/0296-73-0001

写真は昨年までの風景となります。

9月17日 午後4時30分 中秋祭
中秋祭

笠間稲荷神社の境内に祀られています月読神社(御祭神 月読尊(つきよみのみこと))のお祭である「中秋祭」が旧暦8月15日(新暦9月24日)に斎行されます。
中秋の名月は十五夜と呼ばれ、古来、観月の好時節とされ、昔は月下に酒宴を張り、詩歌を詠じ、すすきを飾り、団子・里芋・枝豆・栗などを盛り、神酒を供えて月をながめて楽しみました。
「中秋」とは旧8月を言い、旧暦では7・8・9月を秋とし、各々を初秋、中秋、晩秋と呼んだのに由来します。そして中秋15日の満月の日を特に中秋節といいました。
中秋の名月を鑑賞する風俗は、平安時代、中国より伝わり貴族の間に取り入れられ、しだいに武士や町民へと広まっていきました。農民の間では農耕行事と結びついて、収穫の感謝祭としての意味を持っていました。中秋の名月は「芋名月」とも呼ばれますが、このことは里芋など芋類の収穫儀礼であった事に由来しています。
こうして庶民の間で、年中行事として長く伝承されてきました。

9月23日 午前8時 秋季皇霊祭
9月23日 午前11時 小笠原流弓術奉納式
小笠原流弓術奉納式

小笠原流弓馬術礼法の起こりは、清和天皇の御代、約1100年前になります。当時はまだ小笠原姓は名乗っておらず、弓法を確立した事により源姓を賜り、将軍家(源氏)の弓術指南役となりました。承安4年(1174年)、天皇より小笠原号を賜り、以来、将軍家(源氏・足利・徳川)の師範としてその弓術を正しく現世に伝えています。
今日、弓道の会合には矢渡し・射礼等が必ず行われますが、その射礼には大的式・百々手式・三三九手挟式などがあり、これらの儀式は室内での儀式として考えられたものであります。
日本書紀によれば、天照大神の御孫神、第三代の尊神が下界日本国に降臨の時、この国の魔鬼を退治するため、天稚彦(あめわかひこ)という神に天鹿児弓(あまのかこゆみ)・天羽々矢(あまのはばや)を賜りて魔鬼を退けさせたといいます。この後、弓術は、「魔鬼を鎮め天下を泰平になす事、皆一張穹の勢たり」として武家社会に浸透しました。
「草鹿式(くさじししき)」とは、鹿の形をした的に向かって神頭矢(じんとうや)と呼ばれる矢を放ち、その矢所(当たり所)を競うもので、的奉行、射手、大将等の間で、矢の善悪や射方等の問答が鎌倉言葉でやりとりされる厳かで優雅な弓の儀式です。(写真は「三三九手挟式」)

10月17日 午前8時 神嘗奉祝祭
10月29・30日 本宮祭
10月31日 尚歯祭

尚歯祭(しょうしさい)は、大正5年に始まり、今年で109回目を迎えます。「尚」は尊ぶ、「歯」は年齢の意味ですから、尚歯とは高齢者を敬い尊び、長寿をことほぎ慰安することです。
尚歯祭の起こりは大正天皇の御即位大典にあたって、全国の高齢者が恩賜の光栄に浴した事により、尊長的な精神を養う事を目的として始められた事によります。
旧笠間市在住の75才以上の方々をお招きし、御神前に於いて長寿・健康・幸福の祈願祭を斎行し、祭典終了後宮司より家庭や社会へ尽くされた労へのねぎらいの言葉があり、次いで神社総代、敬神婦人会会員の案内により、観菊します。

10月下旬 菊祭開催奉告祭
菊祭開催奉告祭

笠間稲荷の菊まつりは日本で最も古い菊の祭典で、明治41年(1908年)に先々代宮司の塙嘉一郎が、日露戦争によって荒廃した人々の心をなごめようと、神社に農園部を開園して始めたものです。長い歴史を重ねて、今年で第117回となります。
今や茨城県の秋を代表する催事である今回の菊まつりは、一世紀にわたる歴史と功績を顕彰するとともに、市民が参加して創りあげる一大催事に発展拡大させながら、神社・官・民が一体となって永続的な菊まつりを実施していくことを目的とし、第100回から「笠間の菊まつり」と改称しました。
境内各所には立ち菊、懸崖菊、千輪咲き、盆栽菊など約八千鉢の菊花がところ狭しと展示され、芳しい香りとともに色とりどりの花がご参拝の方々の目を楽しませ、心をなごませています。
今年の秋も是非笠間に足をお運び下さるようお願いいたします。

10月下旬 菊祭開場式
11月3日 午前8時 明治祭
11月3日 午前10時
午後2時
神事流鏑馬 
神事流鏑馬

笠間稲荷神社の神事流鏑馬は、稲荷の大神様に縁の深い農作物の豊凶を占うとともに、日本の伝統文化で現存する二大流派の一つである弓馬術礼法宗家、小笠原流の古義古術を保存するために行われています。今年で73回目を迎え、鶴岡八幡宮・日光東照宮と並ぶ、三大流鏑馬の一つに数えられるもので、昭和25年11月3日の文化の日に第一回目が行われ、以後笠間稲荷神社の菊祭りの最盛期でもある11月3日を恒例日として行われるようになり、毎年約2万人の観客で賑わっています。
当日は、鎌倉時代の流鏑馬装束に威儀を正した小笠原流一門の射手及び氏子有志、古武道振興会の人々など総勢40余名が、拝殿前で、神事流鏑馬が滞りなく執り行われるように祈願した後、笠間小学校前(笠間藩弓馬訓練場跡)の全長260mにわたる道路に幅2m・厚さ20cmの砂を敷き詰めた特設馬場までの約700mを、古式にのっとり列を組んで進んで行きます。馬場では、3ヶ所(一の的:馬場元より30m、二の的:一の的より75m、三の的:二の的より75m)に設けられた、高さ2mの的に、射手が馬を走らせながら約20秒間に3本の鏑矢を射て、馬場中央にいる奉行所の日記役が、その命中度を記録し、割れ方によって来年の豊凶を占います。

11月11日 午前10時 奉納 笠間洗心館演武
奉納 笠間洗心館演武

山田杢兵衛久文から示現流の皆伝を受けた村上善太夫は、薩摩藩主島津分家の家臣であったが、故あって浪々の身となっておりました。しかし、示現流皆伝の善太夫は、享保8年(1725)当時日向國延岡の藩主、牧野越中守貞倶に用いられ、その後、示現流の村上家は代々牧野家に使えるようになります。
善太夫の子、村上善藏義明が延享4年(1747)牧野家5代貞通の國替えにより、日向延岡から常州笠間の地に移ってきたのに随い示現流の村上家は、笠間に在住し、牧野家の笠間藩兵法師範となり、笠間の地に示現流兵法が定着していきます。
大正期には笠間示現流6代目師範村上義治の門弟の一人であった、塙嘉一郎(笠間稲荷神社先々代宮司)をはじめとした笠間稲荷神社神職たちによって命脈を保ち、戦後は、塙瑞比古(笠間稲荷神社先代宮司)・剣道愛好者本間武男剣道教士たちによって伝統を受け継ぎ、平成以降は笠間古武道振興会によって正確な笠間示現流の再現をめざし、研究と実践を続けております。現在、笠間稲荷神社では「奉納 笠間示現流居合抜刀術」として古武道各流派による普段見られない真剣による太刀捌きをご覧いただけます。

11月15日 午前8時 霜月祭
11月15日 午前11時 東京別社例祭
11月23日 午前10時 新嘗祭・献穀献繭祭
新嘗祭・献穀献繭祭

「新嘗祭」(にいなめさい)は、宮中においてその年の新穀を神々に供え、収獲を感謝する祭儀で、全国の各神社でも新穀を神前に捧げ、祭祀が行われます。当神社では、「献穀献繭祭」(けんこくけんけんさい)と称して、明治41年に始められ、初穂米(神様に奉納する新米)の奉納と、当神社の御神饌田にて栽培した種籾の頒布を受けた人々の謝恩奉納、更に養蚕業発展が目的の献繭祭、又献穀品評会・献繭品評会が開催され、穀類約1000点・繭類約100点が出品されます。常陸農業協同組合及び茨城県中央農林事務所に審査を依頼し、11月23日には御神前において、優秀者の表彰が行われ、境内には出品物の展示も行われます。

11月下旬 菊祭千秋楽
12月21日 午前9時 御火焚串炎上祭
御火焚串炎上祭

笠間稲荷神社では、12月21日冬至の日を卜して御火焚串炎上祭を執り行います。当神社の御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)と申し、食物の神、いのちの根の神として古くから信仰を集めていまして、記紀神話等に語られる穀神の誕生と火とは切っても切れない関係にあり、稲荷神と火の信仰も不可分のものと言えます。
火は古来より神聖なものとされ、人々の心身に知らず知らずのうちに付く罪けがれを祓い清める力を持つものとして考えられてきました。
当神社では、毎年冬至の日に御火焚串炎上祭を斎行いたします。炎上祭にお焚き上げ供する御火焚串は木製の板に崇敬者自身が住所、氏名、願事などを記入し、神前に奉納したもので、火の霊力によって罪けがれを祓い願事の成就と除災招福を祈願します。
この日は時刻に神職が拝殿において修祓(おはらい)、献饌(神様にお食事をさしあげる)、祝詞奉上のあと、神前火焚の儀を行います。これは宮司が祝詞を奉上するなか、神職が忌火(神聖な火)を持って庭に出てきて、予め用意された稲藁に点火する儀式です。この儀式のあと、宮司以下神職や参列者は庭上に於いて、改めて修祓をし、火焚の儀を執り行います。この儀は、積み上げた御火焚串に点火し、「大祓詞」(おおはらえのことば)を全員で奉唱するもので、火が尽きるまで大祓詞を繰り返します。

12月28日 日中 鹿島祓
鹿島祓

新年を迎えるにあたり、毎年12月25日には「煤払い」の行事が行われ、神職及び巫女の手によって御本殿を始めとする建物や神苑が清められます。
煤払いでは青竹を用いて、高さ9メートルにも及ぶ御本殿の隅々が注意深く払い清められ、拝殿、楼門、廻廊なども順次祓清められていきます。
12月28日に鹿島祓の行事が当社に於いて行われるようになってから、すでに百数十年を経ており、現在の宮司家が鹿島神宮より笠間に迎えられた際に、鹿島神宮の祭式を当社にもたらした事に起源します。
鹿島祓に用いる祓具は十二節の青竹を用います。上部五節の枝のみを残して、他の枝及び葉を取り去り、枝をまげて長丸形とし、白紙を張り、朱墨で模様を描きます。竹の先端には山鳥の羽三本を挿します。
当日神職は装束を着け、巫女を従え御本殿を始め拝殿以下社務所各部屋に至るまで祓具を以って祓を修します。巫女はそれぞれの場所に於いて、奉書の上に塩を三ヶ所山に盛り、酒をそそいで祓を修します。

12月31日 午後4時30分 大祓式

大晦日には神事「師走の大祓・年越しの大祓」を行います。毎年6月の晦日と12月の大晦日に斎行され、我々が日常生活を営む中で、知らず知らずのうちに過ちを犯したり、けがれにふれたりすることがあります。これら様々な罪や汚れを人形(ひとがた)に移して祓い清め、大神様の御心にかなう、清く明るく正しい神ながらの人間本来の姿に立ち帰り、心身共に清らかになって新春を迎えていただくための神事です。
当社の大祓は、宮司家(姓は中臣鹿島連で鹿島神宮に代々仕え、明治初年に当社の宮司家となる)に伝わる我国最古の祓「中臣祓」の式を以て執り行います。

恒例祭典・行事

毎月1・15日 午前8時 月次祭
毎月午の日 御縁日