笠間の菊まつり

菊まつりの歴史

菊まつりの歴史
始まりは明治41年

「笠間稲荷の菊まつり」は、境内で行われていた「朝顔会(朝顔展示)」が発展して始まりました。当時、戦争で荒廃した人々の心を和ませることや信仰を育む一助として、 先々代の宮司が「大地に親しむこと」と「菊花は人の心を和める」との 思いから、明治41年に農園部を設けて、菊花を境内に展示したのが始まりです。

菊まつりの歴史
菊まつりの流れ

始めは、単に菊花を境内に展示するだけでしたが、大正2年からは菊花品評会も開催されました。昭和24年には、戦後の混乱の時期にもかかわらず、笠間稲荷の菊が「アメリカ国際菊花展」(シアトルで開催)に出品して、最優秀賞ブルーリボンを受賞。現在でも、「菊花品評会」や「市民菊花展」が行われています。

菊まつりの歴史
「菊人形」の起こり

菊人形の起こりについては諸説ありますが、一般的に江戸後期といわれています。巣鴨の植木職人によって、人形の衣装の替わりに菊花を着せたり、動物や山などに似せた菊の細工物を見せ物として公開したりしたのが始まりとされています。

笠間稲荷神社では、昭和23年から「菊人形展」を開催。以降、菊人形の体数も増やし、仕掛けにも工夫を凝らして現在に至っています。

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